会津探訪

麟閣 (りんかく) 再び会津に咲いた華・麟閣 少庵召 少庵召

再び会津に咲いた華 麟閣(会津若松市)

豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(一五九〇)蒲生氏郷が会津に入り、近世的支配を確立していきました。氏郷は、器が大きく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人でした。特に茶道に親しみ、のちに利休七哲の筆頭にあげられているほどでした。

天正19年2月18日、千利休が豊臣秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の世界から追放された折、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しみ、その子少庵を会津にかくまいました。徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけ、その結果文禄3年と推定される「少庵召出状」が出されました。少庵は京都に帰り今日の茶道隆盛の基を築きました。この少庵が会津にかくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが鱗閣で、以来若松城で大切に使用されてきました。ところが戊辰戦争で会津藩が敗れ、明治初年若松城が取り壊される際、石州流会津怡渓派の森川善兵衛(指月庵宗久)は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、明治5年自宅へ移築し、以来120年にわたり森川家はその保全に努めてきました。会津若松市では、平成2年9月市制90年を記念してこの茶室を若松城内の元の場所へ移しました。千家と氏郷を偲び、再び会津に咲いた華・鱗閣は会津の歴史上貴重な建物として後世へ伝えています。

copyright © AD BRAIN All Rights Reserved.