会津探訪

瓜生岩子 瓜生 岩子 瓜生岩子像(浅草寺境内) 瓜生岩子像(浅草寺境内)

瓜生 岩子

瓜生岩子は幕末の文政12年(1829)に小田付村(現喜多方市)に生まれる。

油商を営む若狭屋の長女として恵まれた家庭に育ちましたが、岩子9歳の時父が急死し、おいうちをかけるように火災で家も焼けてしまい、幼い岩子は母と弟の3人で母の実家の熱塩村山形屋に身を寄せて少女時代を過ごしました。

17歳で結婚し、その後父のように慕っていた叔父が亡くなり、33歳で夫と死別、翌年には母も亡くなります。

つぎつぎと降りかかる不幸に岩子は母の菩提寺示現寺の禅師に「いっそ尼になりたい」と伝えると禅師は一喝し「世の中にはお前以上に不幸な人は大勢いる。これからの一切をもっと不幸な人のためにささげなさい」と諭しました。それ以後、岩子は我が身を投げ打ち貧しい人々や孤児など苦しんでいる人たちを懸命に救い続けていくことになります。明治時代の初めに社会慈善家として生涯活躍し、今日の日本社会福祉の礎を築きました。明治29年(1896)にその功績により、日本で初めて藍綬褒章を受けています。翌年明治30年69歳の生涯を閉じました。

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