会津探訪

中野竹子 中野 竹子 中野竹子・銅像 中野 竹子銅像 中野竹子の墓 中野 竹子の墓

中野 竹子

嘉永2年(1849)3月〜慶応4年(1868)8月24日。

会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女。江戸生まれ。美人の誉れ高く、気節があり、聡明利発な女性で、薙刀の名手で学問にも長けたといわれています。

戊辰戦争が始まると会津藩に戻り、児童に学問や薙刀を教える。後に母こう子らと共に娘子軍を結成し、新政府軍との交戦で母や妹と共に奮戦するが、眉間に被弾、首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯により果てました。

その首は農兵の手により会津坂下町法界寺に埋葬されました。法名美性院筆鏡秀烈小竹居士。享年18(また20、22などの異説がある)。

このとき竹子の薙刀の柄には

「ものゝふの猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」

の辞世をしたためた短冊が結びつけてあったといいます。

copyright © AD BRAIN All Rights Reserved.