会津探訪

日下義雄 日下 義雄

日下 義雄

県内出身者で初めて福島県知事となった人物。在任は3年という短い期間だったが、郡山から会津若松を経て新潟県の新津に至る岩越鉄道(現在の磐越西線)の実現に多大な貢献をしました。

東京仙台間の鉄道が開通した後、会津若松と郡山間の鉄道計画は国の選定から洩れたため、民間資本の「岩越鉄道株式会社」を設立し明治32年(1899)7月15日に会津若松と郡山間に蒸気鉄道を走らせ、これにより地場産業が飛躍的に発展しました。

もともと会津藩のお側医の長男として生まれ、日新館で学んだ。飯盛山で自刃した白虎隊隊士石田和助の実兄。当時は石田伍助という名で、白虎隊に属していたが、別の分隊だった。戊辰戦争では鳥羽伏見の戦いで負傷、のち大鳥圭介の隊に投じ箱館五稜郭で戦い捕虜となり、江戸芝増上寺に収容される。このとき"義雄"と改め、明治3年(1870)赦免後姓を"日下"と変えました。明治政府の要人・井上馨の知遇を受け、アメリカやヨーロッパに留学して経済学などを学び、帰国後は、政府の高官として働きました。

明治19年には長崎県知事、そして25年に福島県知事に任命されました。その後役人を辞め、経済人として銀行や保険会社の相談役を歴任したほか、衆議院にも2回当選しています。

会津若松市の法華浄光寺に銅像が建てられています。

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