会津探訪

大山捨松 大山 捨松 鹿鳴館 鹿鳴館

大山 捨松

万延元年〜大正八年(1860〜1919)。

会津藩家老山川尚江の末娘。山川浩、健次郎の妹。明治4年、日本初の女子留学生のひとりとして渡米することになった。

これを機に、咲子の母親は、「捨松」と改名させました。「私はお前を捨てたつもりで遠いアメリカにやるが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰ってくる日を毎日心待ちにして待っているよ」という、母の切ない気持ちからの改名でした。

ヴァッサー・カレッジに学ぶ。

帰国後、戊辰戦争で薩軍砲隊長だった陸軍卿大山巖と結婚。当時の外交の舞台だった鹿鳴館の華とうたわれ、日米親善の先駆者となりました。また、愛国婦人会理事、赤十字篤志看護会等の社会活動や女子英学塾(現津田塾大学)の設立・運営にも尽力しました。陸軍少将山川浩、東京帝国大学総長山川健次郎は実兄。

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