会津探訪

秋月悌次郎 秋月 悌次郎 秋月悌次郎の墓 秋月 悌次郎の墓

秋月 悌次郎

文政7年(1824)7月2日〜明治33年(1900)1月5日。

幼くして藩校日新館に学び、秀才の誉れも高く、19歳の時選ばれて江戸に上り、昌平黌に学び、のち舎長となりました。

帰藩後日新館の教授となり、また藩命で関西各藩を歴遊して報告の書17巻を呈し、文久2年藩主松平容保の京都守護職になると、これに従って京に上り機務に参画しました。慶応元年会津の蝦夷地代官に転じたが、3年3月命によって再び京に上りました。明治元年鳥羽伏見の戦いとなり、会津に帰って越後に転戦し,のち城に入って副軍事奉行となりました。開城には参画最も努めたが、戦後は首謀者と認められ終身禁固に処せられ、明治5年特赦に会い、その後太政官に仕え、また東京大学・各高等学校の教授を歴任しました。

熊本高等学校教授時代同僚の小泉八雲と親交があり、また当時の熊本師団長だった北白川宮能久親王に経書を進講しました。

小泉八雲は、「まるで神の様な人であった」、「先生のそばにいるだけで暖かくなる」と称しました。墓所は東京都港区の青山霊園にあります。

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