会津探訪

保科正之 保科 正之 土津神社 土津神社 保科正之の墓 保科 正之の墓

保科 正之

慶長16年〜寛文12年(1611〜1672)会津松平家初代藩主。

徳川秀忠の子だが、母が側室ゆえ武田信玄の娘見性院に養育されました。信州高遠の城主保科正光の養子となり、三代将軍家光は正之を実弟として、最上山形、続いて33歳の時に会津の城主としました。

家光没後正之は幼将軍家綱を補佐、文治主義を徹底させ、若松滞在は生涯3度であったが腹心の家老らが統治にあたり、特に家訓十五ヶ条で子孫に徳川家への絶対忠誠、法の絶対服従を示しました。

以来、会津藩ではこれを藩是(はんぜ)とし、ことあるときは、これをよりどころとしさまざまな決断をしました。会津藩の精神的な柱といっても良いでしょう。 尚、誰が草案を作成したかについては、諸説あるようですが、保科正之と山崎闇斎が共同で作成したのではないかと考えられています

没後は猪苗代の土津(はにつ)神社に祀られました。また、その分霊が札幌市の琴似神社に祀られています。

copyright © AD BRAIN All Rights Reserved.