会津探訪

田中玄宰 田中 玄宰 日新館 日新館 田中玄宰の墓 田中 玄宰の墓

田中 玄宰

会津藩名家老田中正玄(まさはる)四世の孫で、会津藩家老で三代の藩主に仕えた名宰相。

34歳で家老に任じられた際、会津藩は天明の大飢饉でした。玄宰は藩主容頌に領民の救済と藩政の改革を願い出たが受け入れられず、一時病と称して辞職。その間兵学や経済について研究し、一年後復権の際に藩政の大改革「天明の改革」を提言し大きな成果をあげました。その中で特に重視したのは学制の改革でありました。それは「国の発展の基礎は人材の育成、すなわち教育にあり」との考えからで、農村や産業を建て直すには、人材育成が基本であるとし、家臣団に対して、藩政に役立つ人物としての文武一体の習得を義務付けて11歳から18歳までの藩士の子弟を就学させることにし、そして寛政十一年(1799)より5年の歳月をかけ、完成したのが、日本でも有数の規模・内容を誇る藩校「日新館」でした。

玄宰は日新館が完成した6年後の文化五年(1808)会津藩樺太出兵の最中、61歳でこの世を去りました。遺言には「わが骨は鶴ヶ城と日新館の見えるところに埋めよ」とあり、34歳で会津藩家老となり藩政に人生の全てを尽くした玄宰の遺言どおり城下を見下ろす墓はそれらの見渡せる小田山の山頂にあります。

玄宰の死後も、会津藩士たちのなかに彼の思想は生き続け、会津士魂として受け継がれていきました。

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