会津探訪

会津焼きもの職人 会津焼きもの職人 流紋焼 流紋焼

会津の焼きもの 陶磁器

会津地方で、最初に焼物が焼かれるようになったのは、縄文時代からです。

現在会津には、会津本郷焼、会津慶山焼などが長い年月を繰返し土と炎の技に心を託し今も息づいています。長い歴史の中に、伝統技が一際引き立つ「会津のやきもの」。また、会津地方には窯元も数多く点在しており、呼称「会津焼」が全国的に認識されていると言っても過言ではありません。

近世における会津焼は、蒲生氏郷の時代に始まります。元禄元年から二年間という突貫工事で七層の天守閣を備えた東日本第一の城を完成させる際、文禄二年(一五九三)に蒲生氏郷が城の屋根瓦を造らせようと播磨国(兵庫県)から瓦師の石川久左衛門らを呼び寄せ、城に近い小田山麓で瓦を焼かせました。色が黒かったので黒瓦と名づけ、上杉、蒲生、加藤の代になってもこれを造らせたとあります。寛文二年(一六六二)に小田瓦窯が会津本郷に移され統合するまで、小田の黒瓦は焼かれていました。次いで、加藤嘉明時代に本郷で瓦が焼かれるようになり、会津松平藩祖の招きによって、瀬戸の陶工水野源左衛門兄弟が天保四年(一六四七)凍み割れしない赤瓦を開発しました。その功績に、焼物の棟梁である「瀬戸右衛門」の称号を賜りました。

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